木々の間で





 その日、私はいつもの場所にスケッチにやってきました。うちの脇(わき)を抜けて雑木林の中にある細い道を30分も登ると、軽い起伏のある芝地に出ます。そこには丁度いい灌木(かんぼく)がまばらに生えていて、気持ちのいい日陰をつくっているのでした。
 今は夏休み前なので私の他にだれもいませんが、あともう2週間もすると、ここはピクニックシートとお弁当を持った家族連れで混み合い、私のような独り者はたちまち親たちの不審気な目にとがめられてしっぽを巻いて退散することになるでしょう。実際、子供達のうるささといったら!例え親の目がなくても、私は諸手をあげて降参するに違いありません。


 そんなわけで、私がこの場所を楽しめるのはほんのわずかでした。私は左手に折りたたみのいすをかかえ、右手にスケッチブックを持ち、今日の木陰をさがしました。
 木漏れ日の美しさに酔いながら、私は芝地の西の際に居を構えました。
 日はもうすぐ真上にきます。ちゃんとお腹の楽しみも用意してきていました。







 私はひんやりとした夜の空気にほおをなでられて、突然目を覚ましました。目に飛び込んできたのは、全く自分の予期していなかった暗闇(くらやみ)でした。
 いつの間に眠り込んでしまったのでしょう。木にもたれかかった背中がギシギシと音を立てるようです。強ばった指の関節を伸ばし、手をすりあわせました。
 どこからともなく ホウ、ホウ…という寂しい鳴き声が聞こえきます。私はなんとか体を伸ばし、絵の道具を片付けはじめました。


 すると、さっきまで静かだった後方からなにか騒がしい物音が聞こえてきました。私はとっさに木の後ろに隠れました。
 それらはなにやら五〜六匹いるようでした。キイキイと金切り声をあげ、押し合いへし合いをしながらずんずん近くにやってきます。夜の闇の中で目だけがピカリピカリと光りました。
 私は焦りました。なんだか見つかってはいけないような気がしたのです。幸運なことに、その生き物は灌木の手前の少しひらけた芝の上で止まりました。そして私の目の前でたき火をはじめたのです。


 それはとても不思議な光景でした。彼らは手際よく木を組み、あっという間に見事な炎が立ちのぼりました。チラチラと燃える炎の周りに陣取った彼らの姿が火に照らされた時、私は アッと息を飲みました。灌木の半分に満たないような背丈にずんぐりとした手足を持つ彼らは一見子供のようでしたが、大人びた仕草はあきらかに子供ではありませんでした。耳の先はとがり、目じりはきゅっとつり上がっていて、なんとも生意気そうでした。
 私は、そんなことがあるもんか、と頭の中で否定しながら、しかし、あれらを人間と認めることはどうしても出来ませんでした。
 昼間に子供達の中で見かけたなら、あるいは気が付かないかもしれません。しかし、夜の闇をほの明く照らす炎の周りにいる彼らは妙に生き生きとし、様々な色の目は炎の照り返しをうけて、赤や黄、時には金色にピカリと光るのでした。
 その様子は、猫がまたたびを前にして、これから狂おうと待ちかまえる、そんな異様な期待に満ちていました。


 ふいに、輪の中の一人が踊り出しました。若草色の衣を着たその小人は(小人と言って良ければですが)炎の周りをくるくると足取りも軽く飛び跳ねています。彼のとなりに座っていた紺色の上着の小人もつられて立ち上がり、手に持ったジョッキのようなものを振り上げて拍子を取りはじめました。向かいで胡座(あぐら)をかいていた、どこか眠そうな目をしていた小人も今や目を見開いて激しく手を打っています。
 最初に躍り出た小人は、一回りすると周りの連中をどやしつけて腕をつかんだり髪をひっぱったりしてみんなを立たせようとしました。ある者はほおを紅潮させて跳ね上がり、ある者は恥ずかしそうに首を振って後じさりしました。
 若草色の小人は、拒まれても一向に頓着(とんちゃく)しない様子で、両の手に他の小人の手を取り、耳まで真っ赤にして大声をあげ、文字通り浮かれ騒いでいました。
 私はそのばかなふるまいを好ましく思いました。明らかに分別がなく粗野でしたが、彼は見るからに楽しそうでした。


 そうこうするうちに、興が乗ったのか、紺色の小人が歌を歌い出しました。それは小川の水がきらきらとさざめいて、銀色の魚影が垣間見えるように、私の心の中に流れ込んできました。透きとおった豊かな声に、他の小人達も踊るのをやめてうっとりと聞きほれています。
 その歌は私の知らない歌でした。歌どころか、彼らの言葉は私には何一つわかりませんでした。ただ、美しい、ということだけがわかりました。
 その歌に焦茶色のズボンをはいた小人が加わりました。低くまろやかな太い声と、透明で晴れやかな声が円を描くように私達の股(また)の間をぬけ、後ろを通って温められた空気のように舞い上がっていきます。
 つられて夜空を見上げると星が空一杯に広がっていました。彼らが現れる前には雲に隠れていた月も、その金色の顔をのぞかせています。夜空に吸い込まれていった歌声を喜ぶかのように、星が瞬いていました。


 2人の小人が歌い終わり、ふっと息をつきました。

 おや、泣いている小人がいる。

 私はくすりと鼻を鳴らそうとしました。鼻はくすりとは鳴らず、ただズズ、と鈍い音をたてました。私も我知らず涙を流していたのでした。歌を聴いて泣くのは久しぶりのことです。どうやって音を立てずに鼻をかもう、と思案していると、あの若草色の小人がよろよろと二人に近づき盛大に泣き出しました。その音に紛れて私はようやくそっと鼻をかむことが出来ました。
 小人は泣きながら二人のほおに音をたててキスをし、紺色の小人はニコニコしながら、彼の鼻をふいてやっています。焦茶色の小人は腹に力を入れて歌ったせいで暑くなったのかしきりに手で顔をあおいでいます。薄紫の帽子をかぶった小人がさっと横からジョッキを手渡しました。それには黄金色の液体がなみなみとつがれ、私はビールを思い出して思わず喉(のど)をゴクリと鳴らしてしまいました。
 気が付くと炎の周りの小人はみな、あの液体の入ったジョッキを持っています。思い思いに隣の小人と目を合わせてはカチンといい音を立てて気勢をあげ、ぐいぐいやりはじめました。場は無礼講になったようでした。手を組んでぐるぐる回ったり、一人で華麗なステップを踏んだり、調子に乗りすぎて他の小人におしりがぼん!と当たって謝ったり、それはそれはめまぐるしい様子でした。あの図々しい若草色の服の小人はちゃっかりおとなしそうな女の小人の手を握って抱きよせたり離れたり。女の小人もまんざらではないようで、ほおを赤らめながらも目をキラキラさせて踊っていました。


 私はその宴をずっと見ていたかったのですが、そろそろ帰らないと両親が心配するだろうとあきらめてきびすを返したその時でした。するどい叫び声が細く太く耳に突き刺ささったのです。私はびっくりして後ろを振り返りました。
 なんということでしょう!あの若草色の衣の小人が燃えています。袖口(そでぐち)についた火が体をなめるように全身に広がって、まるでわらの束がメラメラと燃えるように勢いよく炎を吹き出していました。あの女の小人が必死の形相で火を止めようと走り寄るのを、避けるように若草色の小人は輪から離れて走り、3メートルも行ったところでばったりと倒れました。私は後先を考えずに立ち上がりその小人のところに走りました。今日のお昼にと持ってきたペットボトルの水をかけようと思ったのです。私は出るべきではありませんでした。


 小人達は突然現れた私におびえて、蜘蛛(くも)の子を散らすようにめくらめっぽうに逃げだしました。あの女の小人が若草色の小人に取りすがろうとするのを、眠そうな目をした小人が小脇に抱えてしゃにむに芝地をかけていくのが目の端に見えました。が、それよりもとにかく水です。
 私は倒れた小人の側に膝をつき、ペットボトルのふたを開けようとしました。炎の熱さを感じない不思議に、どこか自分が離れたところから遠隔操作されているような気がしました。目の前に透明なガラスがあるように、直にものを見ていないような、空気が水になったように、手を繰り出すのさえおっくうなような…

 そして突然、全ては無駄だ、という声が頭に響きました。

 目の前に横たわった小人だったものは、ついさっきまで血が通って浮かれ騒いでいたのに、今は違うものになっていました。私はそろそろと手を伸ばしました。私の指が触れるか触れないかというところで、フゥーと風に舞いあげられ、おでこから細かい粒になってサラサラと崩れていきます。
 あまりのことに私はへたへたと座り込み、ただ小人が風に吹かれるまま散っていくのを見ていました。











 次頁へ

 創作物置き場へ

 サイトトップへ











SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送